日野三十四先生への追悼の意

投稿日: カテゴリー: ブログ

日本の製造業は、少量多品種化していて、その中でもコストを抑えたものづくり必要となっており、製品のモジュール化が一つの解決策になっています。

そのモジュラー化を実現するための、モジュラーデザインを長く研究され、日本の第一人者でおられた日野三十四先生が、6月20日に急逝されました。

日野先生と私がお会いしたのは、前職の部品表コンサルで有名な会社にいた時でした。ある自動車会社の商談で、どうしても社内で良い提案アイデアが出せなくて、その当時広島大学から良くその会社のセミナーに来られていた日野先生にヒントを頂くために、広島大学まで訪ねた時でした。

部屋の中には、製造業に関する書籍や資料が山のように積まれており、そこから参考になる資料をたくさんコピーして頂きました。

その後、その部品表の会社が経営悪化になり、ある大手ベンダーへ転職した際も、日野先生に講演をお願いしたり、情報交換をさせて頂いていました。

2010年頃から先生が、モジュラーデザインに関する研究会を立ち上げたいと相談頂きました。その頃先生は、私はあと5年で引退する。それまでに、日野先生のノウハウをコンサルタント達に伝授したいとのことでした。

我々もその意思に共感し、立ち上げを一緒にさせて頂きました。研究会に参加するコンサル会社やベンダーを集めることが大変でした。ある意味競合になるので、大切なノウハウを共有したくない。という想いがあるためです。しかし、その後数社に参画してもらい、立ち上げることが出来ました。先生の強い想いと行動力に引っ張られた形でした。

様々なプロジェクトをご一緒させて頂きました。先生の強い指導に押されながら、皆さんモジュール化の取り組みを進めていかれました。たまに頑固で、よくクライアント様ともぶつかっていました。もう少し聞く耳をもってほしいという意見もありました。

ただ一貫してたことは、先生は日本の製造業のために、大切な事を伝えたい、残していきたい、という想いでした。その後その企業毎に進め方をアレンジしていくのは、色々口は挟みながらも、うまく行って欲しいという想いからだったと思います。

それからちょうど5年経ち、昨日先生の訃報を聞きました。

モジュラーデザインの先生の功績については、雑誌やモジュラーデザイン研究会のホームページなどで閲覧頂けるかと思いますので、私の方は先生の人柄について感じたことをお話ししたいと思います。

先生はマツダを引退された後独立され、まだ事例もサービスも確立していない先生の考え方だけに共感したサムスン電子が、先生をコンサルタントとして迎え入れました。そこから複数事業部の改革に着手され、さらにサムスン電子の重要な地位につかないか?と言われ、一方その頃お声かけのあった広島大学での研究とどちらを選択するか悩まれていたそうです。その時、日野先生の奥様より、あなた売国奴になるのか?と言われ、ハッと思い、自分は日本の製造業に貢献するために広島大学に行こうと決められたのうです。年収的には相当サムスン電子の方が良かったと思いますが。。

先生が金沢の方で講演されるということで、モジュラーデザイン研究会の立ち上げのための視察も兼ねて、私もカバン持ちで同行したことがありました。観光も食事もしっかりしてほぼ遊びでしたが、そこでも先生の人柄を垣間見ました。

先生はとにかく人生を思いっきり楽しもう、という方でした。金沢では美味しい料理を堪能しました。蟹やのどぐろも頂きました。

観光もしっかりやりました。先生はまず城が大好き。金沢城に興奮してました。私の方が立て直した城なんだけどなぁ、と冷めてましたが、先生は写真撮りまくりでした。

兼六園も見学し、金沢は金箔で有名なのですが、ちと高めの金の入った花瓶を買われていました。良いと思ったら即決、大人買いな先生でした。

その後広島でモジュラーデザイン研究会メンバーの日野亭合宿が控えていたのですが、金沢の市場では蟹を大量お買い上げして、バーベキューの食材に使うとのことでした。買い過ぎじゃないですかね?と思いましたが、私も頂けるのでありがたく黙っていました。

その後私は大阪、姫路と周り、最後に広島で再集合しました。

1日目は呉に連れて行って頂きました。私のおじいさんが呉出身だったで私のルーツとして呉があるのですが、行ったことなかったのでリクエストしました。ヤマトミュージアム、艦隊で亡くなった方のお墓がたくさんあるところなど、色々車で連れて行って下さいました。

その後日野亭の庭でバーベキュー。寒かったです。でも金沢の蟹美味しかったです。先生はいつも1人で庭でバーベキューをしているようです。奥様もそんなに頻繁にはお付き合いできないでしょうし、でも先生はとにかくバーベキュー好きでした。

奥様もお布団とか借りてきて下さったようで、メンバーで泊めて頂きました。本当にその節はありがとうございました。

2日目は、宮島、原爆ドームに連れて行って頂きました。

とにかく何でも1人で出来ちゃう方でした。どんどんやってしまう。そして頑固なところもありました。一方、色んな意見を持ってるのがコンサルタントで、その方々をまとめていくのはそれも大変だったと思います。

これはやりたい、と思った瞬間に着手してるような方でした。色々周りから言われてもあんまり気にしない人でした。本当はどこかで悩んでいたのかもしれませんが、全く感じさせなかったです。

これ位想いをもって、どんなことがあっても負けず、貫き通せる人は他に私の周りにはいなかったなぁと思います。

最後に先生にメッセージ。

先生、日本の製造業のために意思を貫き通して頂き、本当にありがとうございました。

弟子の企業の一つとしてファーストクロスのメンバーを育てて下さり、ありがとうございました。先生の意思を引き継ぎ、だけど我々の独自性も出しながら、とにかく日本の製造業に貢献出来るよう頑張っていきます。

空から我々を見守っていて下さい。

ありがとうございました。

ファーストクロス株式会社   松本佳世